聴聞

Posted 3月 23rd, 2014 by 川崎純情小町

つまり「空」は観念的な言葉の話の世界ではなく、

調伏・行によって命がけで”私”を叩きこわして求めていくべきものということでしょうか。
その時の「行」は「念仏」一行になるのですか?
それとも、「聴聞」も念仏と同様にその行に入るのでしょうか。
また、生活はどのように生きるかということについて、一つ一つのご縁は、如来さまがお育て下さっておると味わうこと、とても大事な御話と思いました。

そのうえで、ある縁をいただいたときに、そこから何を選択して、どうしていくか、ということにおいて、
以前、ある先生の御法話で、結局どの選択をしても、人間は苦しいことがある、浄土真宗・仏教における選択の基準は、その縁や選択を通じて、自分が仏になることにつながるか、仏縁を深めることになるかどうかだと、お聞きして、なるほどと思ったことがあったのですが、そういうふうに受けとってもよろしいでしょうか?

なかなか、縁のひとつひとつを日ごろ如来のお育てとも思うこともなく、しかも、それを仏縁かどうかで選択するということもできていない自分なので、なかなか、まだ生死の問題も人生の問題も解決しませんが、
人生の問題の根底に生死の問題があり、仏教は生死の問題の解決を求めて聞くものだが、その二つは不即不離だということと、行・調伏の御話と、縁のひとつひとつは如来のお育てというお話は、肝に銘じていきたいと思います。
本当にありがとうございました。

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